駅にて待つ。

自己理解の為のブログだよ。素人が何か言ってるだけだよ。

なにもしていないのに疲れるあの現象

 

 

今回は少し長めの記事になります。


やらなければいけないことを後回しにしてしまったり、つい寝逃げしてしまう……。
日常生活の中でこういった経験はないでしょうか。

 

そんな自分をだらしないと思っている、または直そうと努めているのに、いざ問題に直面すると後回しにしてしまう。そして、後回しにした負債がどんどん積みあがっていき、気づけば大変なことになっている。

 

なぜ、こんなことになってしまうのでしょう。このような状況下にある人の頭の中ではなにが起こっているのでしょうか。


怠惰? 面倒くさがりや?


果たして本当にそれだけなのでしょうか。

 

今回はそういった人の頭の中を自分なりに考えてみます。

 

 

まずこの問題を取り上げるにあたって重要なのはフロイトの「自我」という概念です。
自我とは、簡単にいえば心の統御システムです。

 

次に、「エス」と「超自我」の二つ。


エスとは願望や欲望のことで、快楽を得たいという原始的な欲求です。
お腹すいた、だからご飯が食べたい。眠たい、だから布団に入って眠りたい。

 

しかし、エスのおよそ対極に超自我という存在があります。
人に迷惑をかけてはいけない。今は勉強をしなくてはいけない。
理性や理想は、超自我からの無意識的な指令です。

 

これらをまとめ上げ調整し、最終的な決断を下すのが「自我」といえます。

 

しかし上記のような場合は自我の存在がいつまでも現れず、エス超自我がいつまでも争っている状態になります。
いわゆる「葛藤」という現象は、エス超自我の衝突です。

 

なにもしていないのに疲れるのは葛藤がいつまでも終わらないからです。
原因は「自我の不在」にあります。

 

さらに、自我が不安定だと様々な「自我障害」が発生します。

 

そしてここからが本題ですが、過去に失調型P.D. と診断された男子高校生のケースについて引用させてください。

約24年前の古い事例ですが、「自他境界の曖昧な境界例」について取り上げています(ファイルです)↓

Schizotypal Personality Disorder の高校生に対しておこなった治療者的家庭教師の事例 | 学術機関リポジトリデータベース

 

 

失調型P.D. (スキゾタイパル)は、パーソナリティー障害とついているものの、境界性P.D. と同じく神経症と精神病の間とされている為、「境界例」と呼ばれることもあります。統合失調症の前段階とも言われ、自閉症におけるアスペルガー症候群のような、スペクトラムであるという見方もあります。

 

治療者的家庭教師とは、臨床心理士としてのスキルを用いながら児童の自信や信頼を取り戻していく家庭教師ということで実際の家庭教師とは少し異なるようです。

 

引用したファイルは9ページとやや長めですが、とにかく最初の「事例の概要」だけでも読んでみることをおススメします。

 

環境の大切さ、信頼の重要さがいかに子供の発育において重要かお分かりいただけると思います。「異常者」という外部からのレッテルが、そのまま個人のアイデンティティとなりかねないのです。

 

そしてそこに自我形成に大切な「ロールモデル」の存在がいない為、子供の発達はどんどん遅れるのです。

 

こういった環境下にいる子供の理解で大切な概念は分裂機制、自他境界の脆弱性などです。

 

分裂機制とは、フェアバーンの対象関係論に基づく概念で、境界例研究では非常に重要とされています。


有名なものでメラニー・クラインの「良い乳房・悪い乳房」という言葉にあるように、一人の対象を「良い部分」、「悪い部分」と一面的にしか認識できずどちらも合わさって一人の人間であるという認識が困難であるということです。
他人のことをゼロか、イチかでしか判断できないということですね。

 

自他境界とは、自分と他者は別物であるという意識のことです。詳しくはコチラ↓

www.kokoro-ashiya.com


なぜ、自我障害が起こるのか? については、自我障害を起こした主体の内部と、外部との繋がりが断絶している為であると考えることが出来ます。翻って自我の重要性がお分かりいただけると思います。

 

これは失調型P.D. だけでなく、他のパーソナリティー障害にも同じことが言えないでしょうか。

 

対人関係、および社会生活において信頼というものがどれだけ基礎的なものであり、どれだけ重要なものであるか。また、それなくしてどれだけの苦労をするのか。

パーソナリティー障害の人口比率は、恐らくこれから増加するでしょう。

社会がそのような人を怠惰と見なすのか、またそれはどういった基準で下された判断なのか。本当の病理は、「そこ」にあるのかも知れません。

 


結論。
あの現象は、エス超自我による「葛藤」という現象であり、葛藤を止めるには自我の存在が不可欠。しかし、稀に自我を形成できずに大人になってしまう人がいる。こういう人たちにはロールモデルがなく、また理解者が存在しない。
理想的な解決法は第三者が家庭内に入って仲介役をする。
また、自我障害がある人はロールモデルや適切な指導者を見つけなくてはいけない。

 

 

課題。
ADHDや神経発達症のような人、またはパーソナリティー障害を持つ人は、その特性からして「理解者」を見つけるのが困難である。
また、ロールモデルという概念そのものを理解できない可能性がある。
被差別者における、差別を自覚できない問題である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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by ゴーギャン